なぜ?それを考えたのか〜先日の記事の理由〜 [院長雑感]
WEBでの会議
「受け入れること」の重要性に気づいた。
ともすれば、一人で画面に向かって喋っている状態だ。
途中で反応がわからず、もしかしたら回線が切れてしまっているのではないか?
みんなきいているのだろうか?
どこまで喋ったのだろうか?
無用な悩みは尽きない。
もちろん、聞いている側は
画面と音声に集中することで、以前の会議より
もっと集中することができているように思える。
むしろ集中しすぎるくらいだ。
座長をやった日には、2、3時間画面に集中し
メンバーに話題を振ったり
一瞬たりとも気が抜けない緊張状態の連続である。
もちろん発表者は当然である。
昨日の例会は、「受け入れる」ことが大前提で進んでおり
ものすごく良い空気感が流れていたのである。
これは発表者の思いやりが大きいのと、それに応えるような受け手側が存在していたことが大きいように思える。
これは、少なからずとも「どちらか一方、もしくは両者」
受け入れるを前提とした関わりが重要であること
それができている空間というものは、心地よい空間になることを実感したのである。
つまり、承認することを前提とした話し合い、ディスカッションは成り立つが
ハナっからディスり合うための議論は成り立たない。
相手を受け入れること、そして
相手にわかってもらえるような努力は最低限の礼儀であることを痛感したのである。
これが、本当の意味での愛情であるように感じた。
普段は、お互いに顔を突き合わせ
些細な表情を読み取り、おかしなことは面と向かって言えるが
ネット環境は、どうもそうはいかないようだ。
文字で表現すること、画面を通じてコミュニケーションを取ること
簡単にコミュニケーションを取れる道具としては便利なのだが
時として、諸刃の剣つるぎであることも体験した。
と、自分の考えをまとめながら
ボヤッとしてみるのだった・・・
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